メタボンの行きあたりばったり

昨年定年退職しましたメタボンです。毒を吐きます。

収支決算、父ちゃん自宅葬、残金100万円。母ちゃん会館葬、残金20万円。

f:id:s-dai101030:20171224235444j:plain

父ちゃんは65歳の時に脳出血で倒れ、後遺症として四肢不全麻痺、言語障害    嚥下障害がみられた。(おそらく認知症もあったと思う。)

 

家での介護は、できないため老健施設に入所した。

 

当初、全介助すれば車椅子に乗り、むせながらでも食事していた。

病状は悪化していき、しばらくすると寝たきりになった。

むせがひどく度々、肺炎を起こし入退院を繰り返していた。

 

栄養は胃瘻増設し、そこから注入するようになった。

痰がからみ、しょっちゅう、吸痰される。

吸痰されると、息ができない。

苦痛で顔がゆがむ。

 

年に2回、それぞれ5日間ほどの休みを取り、父ちゃんを外泊させていた。

今と違い、その時代は、施設の職員が送迎してくれた。

エアーマット、吸引物品、胃瘻物品を持って。

 

認知が進み、喋る事がなくなった父ちゃんだったが

私が「家帰るか?」と聞くと「うん」と返事する。

父ちゃんが生まれ育った家。

 

でも、外泊してきても、寝たきり、胃瘻からの栄養には

変わりない。

 

四肢麻痺の重い父ちゃんを車椅子の乗せれる者はいなかったから

庭を見せてあげるなんて考えもしなかった。

 

男親って損。

 

会話する事もないし、手足をマッサージする事もなかった。

ただ、オムツを替え、時間がくれば吸痰して、胃瘻から

栄養をいれる、やくめづまし。

笑いかける事もなかったな。

 

倒れてから10年後、父ちゃんは急変し病院に3日入院して

死んだ。

 

自宅で葬式をあげるのが当たり前の時代。

 

村の親戚、知人の男たちが家じゅうの家具をどっかに放り込み

仏間、座敷の戸をはずし、外では、点灯を持った誰かが

車の誘導をする。受付係は寒い玄関口に机をだして記帳を始める。

 

遺族は、台所に入ってはいけないというルールがあり

5~6人くらいのお母ちゃん連中が遺族、知人、男たちのための

まかない作る。

 

お母ちゃん達のリーダーが3日分のメニューを考える。

食材の買い出し、調理器具の持ち込み、皿洗い、ゴミ捨て係

味付け係、整理係、そして自分達も適度に休憩し世間話する。

斉二場に持っていくためのおにぎり作り、重箱に煮しめを

詰める係。客や男たちがいれば、お茶だし、ビール運び。

朝7時から夕方6時くらいまで、働きづめでとても疲れる。

 

みんなでやらないと葬式が終わらない。

 

父ちゃんの場合は、10年間不在であったが香典数では

300万円あった。弔問客が多すぎて座敷に入れない客が茶の間で

座っていたくらい。

 

住職も客の多さにうろたえたのか

式の段取りを間違えたり(終わったの?って感じで帰り出す客)

今度は、自分が軽トラを

買った自慢話をしたり、法話もなかった。

 

大事な父ちゃんの葬式に何てことしてくれたんだと

私は、腹がたった。

 

葬儀が終わると、仕出し屋から運ばれてくる御前。

 

客とともに、手伝ってくれた裏方、村の人が席につく。

 

今度は、遺族が感謝の挨拶を述べながら、一人一人に

お酌をしてまわる。

 

みんなで協力して行う自宅葬。手伝ってくれた方々に商品券を

わたす。

 

花屋、スーパー、酒屋、仕出し屋、饅頭屋、病院

ガス屋(台所だけでは調理が間に合わないので納屋にガスボンベ

を設置してまかないする)、お布施(通夜の段取りを忘れた奴に30万円)

各所にでむいて支払いをする。

あと、忘れて行ったザルや鍋を持ち主に返しに行ったり。

(村の人は、調理器具に名前を書いている。)

 

家じゅうに人があふれ、緊張しっぱなしの自宅葬。

収支決算は残金100万円。

 

母ちゃんの場合は、セレモニー会館に香典の7割持っていかれた。

でも、家でくつろげるのでとても良かった

家族でいろんな話しあいもできた

 

父ちゃんの時のように、みんな忙しいのに、申し訳ないという

思いがなくて、良かった。

 

母ちゃんの場合、香典200万円弱。病院代やお布施代、施設料金

病衣代などひくと、残金は20万円だった。

 

できれば、家族葬が良いと思う。

故人の親しい人達だけで、見送りする

 

田舎は無理だわ。

人間関係が密着しているし、掟があるからね。

 

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ