人それぞれの終末、父への詫び状
定年退職した私は
時間に余裕ができた
仕事へのストレスもなくなり
気持ちも穏やかだ
寒い冬が終わり、村人が外で作業する6月
老婆は花を植え、爺さんは畑でエンドウや南瓜を植えだす
生き物が陽を浴び、成長する季節だ
夕方になると私は庭の草むしりを始める
雑草は強い
毎日、除去しても2~3日後には倍返しで生えてくる
草むしりに悪戦苦闘し、疲れると縁側で休憩して
目の前の庭とその後方の海を眺める
情緒的気分に浸る
庭は父ちゃんが家族の反対を押し切って
海沿いに造ったものだ
今は潰してしまい無いが当初は鯉が泳ぐ池があった
20数年前、同じ6月同じ時間帯
亡父はこの縁側で倒れた
65歳、脳出血だった
命に別条はなかったが重い後遺症で
寝返りさえできない身体になり施設入所
嚥下障害で肺炎の繰り返し
口から食事を食べれなくなると、胃瘻を作り
胃瘻を抜去しないよう両手を抑制されて
認知症が進行しほとんど喋らなかったが
痰を吸引される時はうめき声をだした
10年間ベッドの上で生き、死んだ
父への詫び状
①ごめん、長い間、地獄だったね
②胃瘻造成はしない方が良かったのかな?
父ちゃんが死んで10年経っても迷っている
栄養を取るには胃瘻しか方法がなかったけど
あの選択は正解だったのだろうか
胃瘻から必要カロリーを注入できたから
細胞は枯渇せず、心臓も動いてくれた
それで生ききったけど
自力では身体を動かせず
エアーマットを使っていてもできる床ずれ
圧迫による血流障害によって組織が腐る
痛かったね
時間が過ぎるのを待つだけ
③ ごめん、外泊したかったね、もっと
麻痺と認知症の悪化で喋らなくなった父ちゃん
話しかける私をじっと見つめていた
「家に帰る?」聞くと
その時だけは「オー」と返答する
父ちゃんの外泊は大変だった
硬く曲がった四肢と体幹のすきまから行うオムツ交換
上手く出来なくてシーツに排泄物がつく
寝たきりでも父ちゃんの身体は重かった
痰がからむたびに行った痰の吸引
やらなければ窒息する
わずかに動く首と手をおさえつけてやった
歪んだ父ちゃんの顔ははっきりと覚えている
痰を吸引されている間は息ができないから
ごめん、苦しかったね
父ちゃんが外泊すると
親戚や友達が寄ってくれた
人形のように動かない父ちゃん
影武者のように母ちゃんが代弁をする
変わり果てた父ちゃんから離れていく親戚
でも友達はけっこう最後まで遊びに来てくれた
古いアルバム
そこに白黒の色あせた一枚の写真が入っていた
遊ぶ小さい私たちを縁側で腰かけて見ている父ちゃん
その目がとても優しい
時間は止まってくれない