メタボンの行きあたりばったり

昨年定年退職しましたメタボンです。毒を吐きます。

死ぬなら年末が良い

12月末

東京で暮らす叔母の旦那さんが亡くなられた

旦那さんはやがて90歳だった

 

私は負けん気の強い亡母より妹である叔母の方が好きで

叔母が母親だったらどんなに楽だろうなと思ったりする

 

楽だから叔母とは随分とはしゃいで電話でお喋りをする

 

夏ごろ叔母から旦那の具合が悪いんだよと聞いた

旦那さんは心臓疾患のため早くからペースメーカーを

入れている

 

歩くと呼吸困難になり入院したけど

家に帰りたいと泣くとか・・・

 

退院したけど自宅療養困難のため施設に入れたとか

叔母自身も足腰が悪くてお見舞いに通うのも大変だよとか・・

 

叔母には娘さんが二人いて、どちらかが手伝いしてくれるので

有り難いとか・・・

 

そんな叔母の話を聞きながら、旦那さんは長くないなと

思っていた

 

秋になり叔母にどうしてるのか電話すると

旦那さんは自宅療養するまでに回復し、訪問の医師が良い人で

良かったよと元気な返事をしていた

 

そして年末に旦那さんが亡くなり、一週間後に

通夜葬儀をすると従兄から連絡を受けた

 

従兄はつまり亡母、叔母の実家の跡継ぎであり

私の母方の親戚の取りまとめ役をしている

 

色白で華奢な子だったけど今では随分と落ち着いて

頼もしいオッサンになっている

 

私「え!一週間後って何で?、正月だから?」

従兄「火葬場がいっぱいなんだって」

私「えーー!、都会なのに?」

従兄「胆のう癌だったんだって」

私「え!、心臓でなくて?」

 

従兄の話だと家で旦那さんを看取ったという、電話しても叔母はでず

娘さん達が代わりに応対しているとのこと

きっと叔母はまいっているのだろうな,私は叔母の体調不良を心配した

 

通夜葬儀には叔母の姉弟と従兄が親戚代表として向かった

 

 

葬儀から一週間もたっただろう夜、叔母から電話がかかってきた

案の定、叔母の声はよわよわしく受話器にしっかり耳を当てないと

聞きとれなかった

 

「叔母ちゃん大変だったね、家で看てたんだって?」

「そうだよ、入院は嫌だって泣くんだよ」

 

二人の娘さんがかわりばんこに実家に泊まり込、家族で介護したとのこと

 

「動けないのにオムツは嫌だって言うもんだから、みんなで抱えてさ

トイレさせたんだよ」

 

旦那さんに黄疸がでて、胆のう癌末期と診断され一か月あまりで

亡くなったとか

 

何を食べさせていたのか、点滴でもしてたのかな

やせ細った病人とはいえ、素人が下の世話するのはかなり疲れたと思う

本当に大変だっただろう

 

「訪問の先生や看護師さんが親切でさ、やり方を教えてくれたよ」

 

叔母ひとりでは看れなかっただろう

「叔母ちゃん、やっぱり女の子を生んでて良かったね」

「そうだね、助かったよ」

娘さん達の旦那さん達も仕事帰りに寄ってくれてたらしい

 

「ちょうど冬休みだろ、孫たちも来てさ」

お孫さんは買い出しに行ったり、話相手したり

掃除したり・・できる事をやっていたそうだ

 

年末、散らばっていた家族が家に集まり、旦那(父、お爺)さんを見送った

 

病院で死ぬ方が大半なこのご時世に

家で最後を過ごした旦那さんは家族に何かを残したと私は思う

 

叔母にはやり遂げた感

娘さん達には恩返し感

娘さん達の旦那さん達には息子感

そしてお孫さんには貴重な経験をさせた

 

お孫さんはまだわからないかもしれないけど

将来、きっと看取りの経験が生かされる時がくる

人間の死は尊い

 

「叔母ちゃんご飯食べてる?」

「あまり食べたくないよ、うどんとかきりたんぽとか食べてる」

「きりたんぽ?」

秋田の名産物きりたんぽ

 

食べたことがないと叔母に話すと送ってあげるよと

笑った

 

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