メタボンの行きあたりばったり

昨年定年退職しましたメタボンです。毒を吐きます。

母ちゃんが死にました、戦いの幕開けです。ーー通夜ーー

12月7日、10時24分、母死亡、享年86歳、膵臓癌でした。

 

12月8日  9時30分に隣町のセレモニー会館のばばぁがやって来た。

 

      祭壇に飾る生花6基、菓子7箱、果物6、ジュース2箱

      及び、通夜後に夕食会のオードブル、寿司30人前

      注文します。

 

      ばばぁは、変わらず見積り書の提示がなく、私はいまいましく

      思っています。

 

     「ご愁傷さまです」「おはようございます」そんな言葉も

      言えないばばぁ。ジャンパー着てるけど、せめてジャケットに

      してほしいわ、パンチパーマのばばぁ。

 

      通夜は何時から、どこでするか、区長が村が張り紙をだして

      くれたお蔭で、私たちのやる事が1つ減りました。

      区長、ナイスプレイ。

 

      こんな時に困るのは、意外にも家族の食事でした。

 

      村なので出前はありません。

      昨日は、親戚が買ってきた菓子パンを食べました。

      今朝は次姉が持参してきた煮しめや、残り物のカレーを食べます。

 

      納棺の儀式は4時です。

      納棺時はお経を唱えねばなりません。

 

      父親の友人のGさんがお経できるので、Gさんに依頼しました。

      父ちゃんとGさんは、気が合い、しょっちゅう遊んでいた仲です。

      友人として、Gさんは、私たちが山の木を切る時も

      アドバイスしてくれます。

 

      葬儀委員長は、米一升もち、お寺の「七条?」棺の上にかける物

      を預かりにいきました。米は七条の貸し賃なのでしょうか?

      詳しい習慣はわかりません。

 

      姉や叔母ちゃん1号、2号がやってきます。

 

      隣町のセレモニー会館の委託司会者が来ました。

      50代の背広をきた奥ゆかしい感じの人です。

      (やっと、まともな人がきてくれた)

 

      納棺̪師は、淡々と事をすすめます。

      母ちゃんの浴衣の上から、白装束を着せます。

      上布団をまくることはしません。

      最後に首から白い布カバンをかけ、なかに硬化の絵を描いた

      用紙をかばんに収めます。(母ちゃんがこれから行くところ

      で支払うものの代用品です。硬貨、貴金属類は火葬時の

      火力に影響がでるらしいので、紙硬貨になっているそうです)

 

      4時になり、Gさんも到着、お経が始まりました。

 

      叔母ちゃん2号が母ちゃんの

       着物を着せてというので、姉が二階から見た事ない

       ネズミ色に赤い花模様の着物を持ってきて

       棺の中の母ちゃんにかけました。

 

      (姉って、なんでも見つけてくるわ)感心です。

 

      そろそろ5時、通夜は7時からですが、遺族は早めに行って

      着替えや、祭壇の見た目、張り出された名前に間違い

      ないかなど確認します。

 

      受付は村の人二人ですが、その他の村、職場からの香典は

      お返しが必要です。急きょ、あと二人の親族が受付に

      加わってもらいました。

 

      7時、通夜開始です。

 

      姉たちは化粧をしています。

      私は地のままです。

 

      (たくさんの人が着てくれますように)願いました。

      空席のめだつ会場は、悲しいです。

 

      村の多くの人がお通夜に着てきてくれました。

      仮通夜に行くと、次の通夜には来ないことも多い中

      嬉しかった。

 

      弔問客は、会場につくと祭壇近くにいる遺族に挨拶します。

 

      (誰?)(知らんわ)(中日新聞の人)(今の人は?)

      きょうだいで挨拶して行った人物の謎解きをします。

 

      7時ぎりぎりで会場入りした客は、後で焼香となります。

 

      司会進行は、あの50代の納棺師です。

      慣れているのようです。

 

      僧侶が祭壇の前にきました。

      この僧侶、腰を痛めているので、大きな声がだせない。

      読経が終わると、生前の母ちゃんの人柄、エピソードを

      話しました。

 

      次は喪主の挨拶です。

 

      私の住む町ではお客さま全員が祭壇前にひとり

      ひとりでてきて、遺族に(俺、来たよ)って目で合図して

      お帰りになります。玄関口では菓子配り担当者がいます。

 

      焼香が始まるなか、あの司会者がドアの隙間から来いって

      ジェスチャーです。

 

      焼香客が祭壇に進む流れのなか、遺族は流れを横切って

      司会者の元に行きます。

 

      「玄関でお客様をお見送りして下さい」

      「焼香中ですけど、それ終わってからではダメなんですか?」

      「帰ってしまう人がいるので、ここで挨拶です」

 

       合点いきません。

 

       焼香の方がたは、遺族不在では、来た意味が

      ないんではないでしょうか?

 

      私は、一人でも遺族席に戻ろうかと思いました。

       「いいじゃない、ここで挨拶しよう」と姉。

      姉に言われると何も言えない、だって姉は常識があるから。

 

      でも、焼香の人の流れを横切って通過した遺族、会場から姿を

      消した遺族。

 

      怒りで叔母ちゃん2号に訴えたら「こんなもんよ」と返事。

 

      私の町では、遺族は最後まで焼香客に挨拶する。(会場で)

 

      玄関で見送りになんの意味ある?

      帰る人は固まって出てくるんだよ。急ぎたいんだよ。

      その町、その町の習慣だから仕方ないか。

 

      でも、焼香する人の流れを横切るのは行為はどうだろ?

      せめて、裏口とか違うルート案内してほしかった。

 

      ばばぁの無神経があんなことさせたんだ。

      「ばばぁに文句言ってやる。」

 

      姉が止めた。

      「終わったからいいじゃない」

 

      8時  親族と受付係さんとの会食。

      味付けは良かった。

 

      ただ食べ盛りの子供や私だけで、外にでてラーメンを食べた。

      みんなオードブルに手をつけていたのに、炒飯、串焼き

      餃子、各自ラーメン注文。完食した。

 

      通夜の晩は、次姉の夫も止まった。

      自姉の夫に私は、見積書が貰えない事を話した。

      次姉の夫が憤慨し、「俺がしめあげてやる」と息巻いた。

 

      どう考えても、なになにいくらかかるか提示しない

      ばばぁが悪い。業者として企画書を提示しないのが悪い。

      どんぶり勘定のばばぁは、企業者としては失格だ。

      焼香時に遺族を不在にさせたのも許されない

      

      遺族控え室でシャワーをし、ネマキに着替え、貸布団でねた。

      次姉の夫が、控え室に安置されている棺の¥蝋燭の管理をしていた。

      母ちゃんの顔は、シワ一つなく、綺麗だった。

      

 

      翌日、葬儀の日、ばばぁに私と次姉の夫とで

      ゆるめに絞め、ばばぁが降参するまで追い詰めた。

      

 

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